生成AIの一般化で勉強する意義は損なわれるのか?

man studying AI

はじめに

近年,生成AIの発展が目覚ましい。
数週間前にAIの最新モデルが出て,「これはすごい!」「ほぼ人間だ!」とひとしきり騒いだのもつかの間,今日それを上回るモデルが発表される時代だ。
実際,最近の生成AIの機能にはすさまじいものがある。
メモ書きを入力して「議事録にまとめて」と頼めば,望んだフォーマットで綺麗な議事録が出力される。

「男性,勉強,イラスト」と単語の羅列を入力すると,この記事のアイキャッチの画像が生成される。
さらに,少し前は苦手としていたリアルタイム検索がClaudeやGemini,Grokなどでは可能であり,「〇〇の件についてまとめて」と聞けば,情報ソースを10件も携えた文章を作ってくれる。
そのため,生成AIは単なる検索を上回る存在ともとらえることができる。
このような極めて便利な存在が日常になった今,「人間が勉強することは必要か?」という意見が出てくるのも必須だ。
生成AIは因数分解も解いてくれるし,複雑な文章を難なく英語に翻訳してくれる。
望みの仕様を文章化すれば,プログラミングコードを書いてソフトウェアを作成してくれる。
AIの時代に,勉強は不要なのだろうか?

web検索の時代

このような議論は,web検索が一般的になった時代にも行われていた。
「webで何でも検索できるし,暗記などの勉強は全くの不要ではないのか」という意見が学生側から出ていたのだ。
しかしながら,web検索は暗記から逃れられる夢のツールではなかった。
例えば,英単語を覚えていなくても検索しながら文章を読めるが,毎単語検索していればものすごく時間がかかってしまう。
ある程度英単語を覚えているから,検索して調べることに意味が出るのだ。
また,専門用語を知らずに専門書を読もうとしても同じことが起きる。
知らない単語まみれでいちいち検索していては非効率極まりない。
また,数学の問題を検索だけで解くことは出来ず,記号の意味や関数の定義など覚えておくべき「お作法」が多数存在する。
もちろん,初学者にとっては仕方のない部分ではあるが,「暗記をしない」というのはすなわち毎回この非効率を引き受けるということだ。
web検索という「外付けハードディスク」を持つのはいいことだが,「内部メモリ」がまずは重要だということだ。

生成AIの時代

生成AIが一般的になってくる時代だと,単なる「外付けハードディスク」ではなくなってくる部分も多い。
例えば,web検索時代ではいまいちだった自動翻訳技術が著しく向上し,長い文章を数秒で違和感なく翻訳してくれるようになった。
また,単なる検索にとどまらず,検索で出てきた結果を自然に要約し文章にまとめるという機能も実装されている。
さらには,数学オリンピックレベルの数学の問題にすら解答できるようになってきている。
こうなると,「人間が勉強することは必要か?」という意見が出てくるのもうなずける。
教科書の問題を一般的なコンピュータが解ける時代に,教科書の内容を習得する必要があるのか?
私は,様々なことにおいて自由度を高めるために学習は必要であると考える。

例えば,実体験として困ったのがプログラミングだ。
最近の生成AIはプログラミングが非常に達者で,「〇〇のコードを作って」と頼むだけで実際に動作するコードを出力してくれる。
しかし,細かい部分の修正や言語化しづらい部分の変更は苦手で,「△△の部分を修正して」と言っても望み通りにいかないことが多い。
具体的には,ある四角形の枠の位置が気に入らず,少し上の方に移動してもらおうとAIに依頼した。
しかし,自分の思ってた場所には移動してもらえず,何度試みてもうまくいかなかった。
じゃあ自分でコードを直すか……と思うも,私はプログラミングコードを触った経験がほとんどなく,どこをどういじればよいのかさっぱり分からなかった。
プログラミングの勉強をしっかりした人なら,大枠を生成AIに作ってもらった後に自分で望むよう修正する,という使い方ができるだろう。
しかし,プログラミングの勉強をしておらず基礎のない私には,そのような修正は不可能だった。
一例としてプログラミングを挙げたが,文章作成や数学,画像生成,科学教育など様々な分野で同じことが言えるだろう。
文章を生成してもらって,「なんか違うな」と思っても,自分の文章力が低いとうまく直せない。(この文章は自力で書いている)
量子力学の解説記事を生成してもらっても,基礎知識が無ければそもそも文章が正しいのかを判別することができない。

まとめ,本の一節

先日,「乱読のセレンディピティ」という本を読んだ。「思考の整理学」の外山先生の本で,乱読することや偶然の発想について書かれた,非常に面白い本である。
その中の一節に以下の文章が記されている。
「ことばの流れは,映画のフィルムのようなものであると考えることができる。(中略)辞書を引いたりして,流れをとめてしまい,むやみと時間をかけると,ことばをつないで意味を成立させている残曵が消えて,わかるものがわからなくなってしまうのである。」
これはまずweb検索にも適用できる言葉だが,文書を読んでいていちいち検索していれば,「わかるものがわからなくなってしまう」。
生成AIを使う際にも,何かのプロダクトを作っている最中に「あれはどうやるんだっけ」と生成AIに聞いてばかりいると,「流れを止めてしまって」全体像を見失うかもしれない。
web検索も生成AIも,基礎力があってこそ威力を発揮するのである。
勉強が不要になるかもしれないタイミングを言えば,脳にwebが直結されて,知りたい情報や手法を一瞬で知覚できるようになったときだろう。
その時初めて,勉強の「暗記する」という面は不要になるかもしれない。

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